腹痛の悪夢を乗り切り、ようやく心安らかな療養生活が始まる…と思ったらそうはいかなかった。原因は同室の患者・Sさんである。
Sさんはは典型的な『社交好きなおばさん』で、良くも悪くも好奇心旺盛な方であった(その好奇心が後日別の患者さんの大きな助力となる)。部屋を移ってきた時の印象は「身奇麗にされてるけどこの濃ゆいメイクは一体…」であり、特に目力の凄さは筆舌に尽くしがたいものがあった。とりあえず目力に負けずにコミュニケーションを何度かとったものの、彼女のお眼鏡にはかからなかったのか特に話すことはなくなった。ある程度話があった方、聞き役に徹する方をそれぞれ見つけられて、女子学生よろしくリーダーと取り巻きという形を取った一つのコミュニティが出来上がったようだ。
ヒトというのは盛り上がるとついつい声が高くなりがちである。彼女たちは廊下は寒いので病室内で関係を深めていくが、おかげさまで本を読んでいたりすると一向に集中できない。回避するにもベッドから移動できない身なのでいかんともしがたく、遮音性の高いインナーイヤー型のイヤホンには本当にお世話になった。
7日目の朝。話し声で目が覚めた。まだ病室は暗く、起床時刻前のようだ。聞こえてくる声に曰く、
「9時に消灯でしょ。6時までなんて寝てられないわよぉ~」
だそうだ。
タニモト、まだ寝ていたいのですが…と思ったが、関係するのも面倒だったのでそのまま二度寝に挑戦する。が、Sさんたちは喋ること、喋ること。声のボリュームも大きくなるが、頼みのイヤホンはしまってあってちょっと取り出しにくい。このまま耐えるしかない…本当に、おばさん達って、なんでそんなに毎日喋ることがあるの?あのコンテンツ量はいったいどうなっているの?と解脱の境地に至り始める。
そして相変わらずマシンガントークを繰り広げるSさんの言葉が耳に飛び込んできた。
「この前風邪引いたから○○大学病院にかかったんだけど、風邪ぐらいで2時間も3時間も待たされてイヤんなっちゃった。なんか初診料?みたいなのやけにとられるし」
風邪ぐらいで大学病院にかかってんじゃねーよ!!!
全霊のツッコミである。医療システムの末端も末端の構成員ではあるが、この発言にはついカッとなった。ツッコミを言語化するのはなんとか抑えたが、抑え切れない憤りは舌打ちに変わり、病室に響き渡る。あ、やっちゃった、とは思ったが、やってしまえば開き直れるものである。反応を伺っていたが、少し声のトーンが低くなったが、それでも彼女たちのお喋りは検温が来るまで続いた。
この時の舌打ちはきちんとSさんに伝わっていたらしく、退院時に「ごめんなさいね」との悪びれない謝罪を受けるに至ったことも付記しておく。が、とりあえず7日目の目覚めは入院中最悪のものであった。
このような患者さんたちを相手にするのだから、ドクターや看護師などのコメディカルもある程度強くないとやっていられない。入院して1週間が経ち、また日曜日がやってきた。しかし医療や看護の提供に休日はないので、朝から回診、清拭と続く。
この日回診にいらした医師の名前をどうにも覚えられず、私はその髪型から「スキンヘッド先生」と呼んでいた。スキンヘッド先生はモノをはっきりと話す、おそらく中堅どころの先生である。白衣よりも深緑のスクラブ姿をよく見かけた。
奥のほうのベッドに入院されていた方が手術の必要性を医師に質問していた。手術で期待できる効果とリスクについて、簡単にポイントを押さえて語るスキンヘッド先生に感心してしまった。思わず清拭に来てくれた看護師のIさん(束ねたゆるパーマが素敵な元気系美人)にスキンヘッド先生、説明がお上手ですね~、としみじみ話しかけた所、帰ってきた言葉が最高だった。
「ああ、ハゲねー…ハゲは口がうまいのよねー」
積年の恨みここにあり、といった感である。しかしこういうことを言える程度には風通しが確保されていることと、単純に聞いてて面白いということ、二重の意味でここに入院できてラッキーだったと思う。
喋ることも話すことも、私にとってはとてもハードルが高い。みんなすごいなあ、と思った日曜の晩であった。
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